第4回 古戎千夏さん|子どもの心のままで描く―表現のベクトルを世間から自分の内側へ
くらしきぬのお客様とのおしゃべりを通じて、日々の暮らしの中で「ときめき」を見つけるコツを探る『ときめきくらしびと』。第4回は、東京と岡山を行き来しながらフリーランスデザイナーとして活動する古戎千夏さんにお話を伺いました。
ときめきくらしびと 第4回 古戎千夏さん
コエビさんの絵を初めて目にしたとき、その絵の瑞々しさに心惹かれました。「こんな風に沸き立つ感情を筆に乗せて表現できたら、どんなに楽しんだろう…」そう思わずにはいられませんでした。しかしお話を聞いてみると、「求められるものを描くことは得意だけれど、長らく自分が何を描きたいのかわからなかった」というので驚き。自分のありのままの感情を取り戻すまでの過程の中で、冷えとりとの出会いがあったようです。
※かわいらしい名字が素敵で、本記事では親しみを込めて「コエビさん」と呼ばせていただきます。
プロフィール
古戎(こえびす)千夏さん|東京都在住・グラフィックデザイナー・イラストレーター。岡山県倉敷市出身。岡山のタウン誌出版社・デザイン事務所での経験を経て、2015年に独立。2018年からは拠点を岡山から東京に移した。子供の頃好きだったことは、絵を描くこと、絵本を読むこと、草花で遊ぶこと、歌うことや踊ること。
コエビさんInstagram好きな絵を描いて食べていくだなんて、想像できなかった
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Instagramでコエビさんの絵を拝見して、こんなに自由に自分の感性を表現できるって、なんて素敵なんだろうと思いました。昔から絵を描くことが好きだったんですか?
子どもの時から絵を描くことが好きで、幼稚園でも端っこで絵を描いているような子どもでした。けれど高校生のときに「好きな絵を描いて食べていけるのかな?」と考えたときに、画家か絵の先生かの2つしか思い描けなくて、どちらもピンとこなかったんです。得意な絵を活かせる仕事って他にないのかな?と悩んだ果てに、デザイナーという職業に辿り着きました。
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▲のびのびとしたスケッチが並ぶコエビさんのInstagram。こちらは井の頭公園のスケッチ。公園の静けさと平和な空気が画面から薫ってくるよう。
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高校生のときに、すでに進みたい道が定まっていたんですね。
グラフィックデザインをやろうと決めたのが18歳くらいのときです。企業のロゴを始め、グッズや制服までをデザインするという経験をして、部分的なデザインよりもトータルで関われることがおもしろいと知りました。
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なるほど。専門学校でグラフィックデザインを学んで、岡山の出版社に就職されたんですよね。
そうですね、雑誌の仕事はすごく楽しかったです。ただ、特集って季節ものなので、5年くらいやっていると周期がわかってくるんです。するとやっぱり違うことをやりたくなる。現場が好きな自分には、反応が見えづらい環境が少し窮屈でもありました。
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雑誌づくりは締め切りの連続で、忙しそうです…!
忙しいし、デザインをがんばったということと雑誌が売れるということが直結しない。それなりに人数もいる会社だったので、デザイナーはデザインだけをやっていれば良くて、全体に関わることは難しかったんです。
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コエビさんのモチベーションは、あくまで「売れる」にあったんですね。
「売れる」と「おもしろい」ですね。けれど、「おもしろい」って評価軸が抽象的じゃないですか。不特定多数の「読者」からは、具体的な顔がイメージしづらいこともあり、誰に向けて作るのかということがわからなくなってしまったんです。
そこでしばらく仕事をお休みして、あるデザイン会社に転職をしました。ここではブランディングの部分からデザイン全体に関わることができて、クライアントワークということもあり予算とそれに対してやったこと、成果が明確に見えました。お客さんが喜んでくれたのか、そうでないのかという反応が見えて、嬉しかったですね。 -
自分が努力したことと結果の距離が近くなったんですね。
大きな組織でも歯車だったら歯車なりに、今自分がしていることの意味を感じられたらいいんですけど、それを感じられなくなるとモチベーションが下がってしまいます。人数が少ない場所だと、クライアントの顔も見えるし、「誰が誰のために何をする」ということが明確なんですよね。
そこで2年くらい務めて、ちょうど30歳のときにフリーランスになりました。個人的に楽しくてやっていた副業の量が増えてきてしまって…。自分主体で仕事を作ったり、値段を決めたり、自分でやりたいようにデザインしたいという気持ちが強くなりました。
▲ ふわふわのロングヘアーとお花のようなイエローワンピースが、絵本の中から飛び出してきた主人公のよう。
ベクトルが内側に向いている人への憧れ
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すごく自然な流れでフリーランスになられたんですね。元々、いつかは独立したいという気持ちがあったのでしょうか?
なかったですね。会社員が向いているし、ずっと続けていくだろうと思いました。
フリーランスになってからは、イラストを描く仕事が増えて、元々好きだった「絵を描く」ということが仕事になりました。そうは言ってもクライアントワークなので、「かわいいクマの絵を描いて」とか「こういうイラストレーターさんに寄せて描いて」というリクエストに応える形です。誰かの要望に答えるということに対して、疑問も抱かなかったし苦にも感じていませんでした。
けれどそんな時に、ある出会いがありました。その人は音楽家なんですが、例えば演奏する時にも「みんなが聴きたそうな曲」とか、そういう外側のニーズにフォーカスしないんです。あくまでもその時、自分がやりたいものをやる。感じたままに奏でているから、やりたくなかったらやらないし、そこには嘘がない。それは自分にはできないことなので、すごいなと。表現行為としては同じはずなのに、真逆だなと衝撃を受けました。彼の矢印は自分の内側に向いていて、私の矢印は外側に向いている。 -
そうなんですね…!「外側に矢印」というのは、チームで働くことやクライアントワークを通じて、「相手のために」ということを続けてきたからこそでもあると思うのですが…。
今流行っている絵柄を描こうとか、秋だからこういう色使いの方がいいやとか、そんな発想がもう染み付いちゃっているんです。でも彼の演奏を見た時に、「あぁ、やりたくなかったらやらなくていいんだ」と。私ももっと純度の高い、自分しか描けない絵を描きたいという気持ちが芽生えました。
今までいただいたお仕事って、別に私の絵を評価してくれているわけでなく、オーダーに応えて色々描くからいただけていたものだと思うんです。そうではなくて、自分の感情や欲求に素直であることを大事にしたいなって。 -
ある方との出会いが変えたんですね。
私は“アーティスト”って人たちがあんまり好きじゃなかったんです(笑)自由で、自分勝手で、すごく頑固で…。
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それだけ自分を貫けるって、羨ましくさえもあります。
羨ましいですよね(笑)私はデザイナーをやり続けて、きっと人としての五角形のバランスは整ってきたと思うんです。それって仕事人としてはいいかもしれないけれど、表現者としてはあんまりよくない。純粋な気持ちが乗っかったものが描けないので。
昔の画家で、マティスやゴッホがすごく好きなんですけど、彼らは描かないと生きられない人たち。苦悩しながら、感情むき出しで生きている。アーティストという人たちは、一見わがままに振る舞っているように見えるんですけど、命がけで絵と向き合っているから、そこにはものすごく大きなエネルギーが宿っている。それが一周回ってたくさんの人を救うものになっている。私は今までとは逆のやり方を探ろうとしているのかもしれません。
▲ コエビさんが大好きだと語る、マティスとゴッホの作品たち。マティスのロザリオ礼拝堂はいつか訪れたい場所だという。
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「世の中に寄せない」ってとても勇気がいることで、強さが必要ですよね。
特に今の世の中では、とっても難しいと思います。私、最近Instagramのフォローを0にしたんです。
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ええ…!お友達も全部ですか?
はい。情報がたくさんあると、自分の中に溜まっていってしまうんです。流し見ができずに、一つ一つの投稿を結構まじめに見ちゃう。「あ、この発信ウソだな」とか(笑)感覚が敏感なので、わかる必要のないことがわかっちゃうんです。目に入ったものを流せないなら、少なくしないといけないですよね。でないと、いちいち疲れちゃうし。
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SNSはどうしても人と比べてしまうときがあり、使い方を模索しています。
比べちゃうから自己表現が難しくなったり、本心じゃないものが出てきたりしちゃうんです。知る必要のないことは、知らなくてもいいんだなと思うようになりました。
冷えとりに出会ってわかった「自分を大切に」の意味
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3年前に東京に拠点を移されたということですが、東京での生活はどうですか?
やっと人間的な生活を送れるようになった気がします(笑)20代は働くばかりだったので、コンビニ弁当食べたり、レッドブル飲んで徹夜したり。でもそれじゃだめだと気づいたし、そんな生活にもなんだか飽きちゃって。
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独立されて、生活リズムが整ってきたんですね。
独立したからというよりも、冷えとりに出会ってからですね。30歳手前くらいのときに、代官山の蔦屋書店で服部みれいさんの『マーマーマガジン 』※を手に取って、帰りの新幹線で一生懸命読んだのを覚えています。
※『マーマーマガジン』・・・服部みれいさんが発行人の不定期刊雑誌。『マーマーマガジン』で冷えとりを知った方も多いはず。 -
なんと…!その時は身体に不調を感じていたんですか?
当時は身体も心も相当疲れていて、言葉のひとつひとつがぐーっと入ってきて、変えなきゃいけないなと思いました。完璧主義なあまり、仕事に全力を注ぎすぎて燃え尽きてしまったり、依存的な恋愛をして自分の心が他人に乗っ取られてしまったりしていました。仕事で無理をしていたのも、仕事の評価が自分の評価だと思い込んでいたからです。
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冷えとりを始めてから、変わったんですね。
まるで変わりました。よく「自分を大切に」とか言うじゃないですか。でも長らくその意味がわからなかった。自分が好きなものを食べてるし、自分が働きたいから働いているし、十分自分を大事にしてるよ!と思っていて。
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仕事も“我慢”だとか“辛抱”という感覚はなかったんですか?
多分、根本的な自己肯定感が低すぎて、そんな感覚にすら気付けていなかったんです。自分は人よりも一段劣っているから人と同じレベルになるためには、みんなよりも努力しないといけない、大変な思いをしないといけないと思っていました。私が20代の頃は「自己肯定感」という言葉すらなかったから、自分はちょっと変なのかな?と悩みました。
でも冷えとりの習慣など、ひとつずつ石を重ねるみたいに自分で自分を肯定する体験を積み重ねて、ようやく本来の自分を受け入れられるようになりました。 -
そうなんですね。大人になってから自己肯定感を高めるってすごく難しいと思うのですが…。
それは本当に簡単なことではないと思います。悩みながら色々試し、自分を受け入れられるようになった要因はひとつではないけれど、冷えとりに出会えたことはすごく大きいです。
本来の自分を取り戻すために、カウンセリングが心(ソフト面)からのアプローチだとしたら、冷えとりは体(ハード面)からのアプローチ。ソフトがバグっているときにハードから安定させてやることは、その頃のわたしには合っていたんだと思います。体を温めると体の調子も良くなるし、心まで温まってくるということが実感としてわかりました。体と心って連動してるんだなって。そこが転換点だったような気がします。30代になってからはぐっと生きやすくなりました。 -
冷えとりの習慣が生まれると、食事だったり入浴だったり、体を労ろうという意識が生まれますよね。
「体に触る」という意識が芽生えたことが大きかったです。足をマッサージしたら「気持ちいいな」と感じるって、頭ではなく感覚的にわかることですよね。体が緩んでいくことで、「ただ存在しているだけで価値がある」という状態がなんとなく腑に落ちるようになりました。
ときめくのは、自分の心にフォーカスできたとき
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「自分を大事にする」という感覚がわかった今、どういうときに心がときめきますか?
ときどき、「自分が描きたいもの」が自分の中から溢れてきて、それが手に伝わって色になって…と自然に表現が出てくるときがあるんです。世の中や他人ではなく、自分の心にフォーカスできたときにときめきます。
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「自分の心にフォーカスできた」という瞬間に自覚的であるのがすごいですね。
自分にとってはそれがすごく貴重なことだから。
私は相手によってチャンネルを合わせることは得意なのかもしれません。困っている人や悩んでいる人に欲しいだろう言葉をかける一方で、私自身はどんどんしぼんでいくということがよくありました。そんなことを長年やりすぎると、自分の本心がわかりにくくなってしまって。最近は、「あ、今自分の心に向いているな」という時間がだんだん長くなっている気がします。
▲ コエビさんが描いたアートの数々。「子どもの頃は絵を描くことや草花で遊ぶことが好きだった」というコエビさんの作品には、純粋無垢である少女のような瑞々しさを感じる。
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それにしても、コエビさんが“ときめける状態”のときに描く絵は、本当に見た瞬間ほっと心が温まります。コエビさんにとって、「見ること」「描くこと」とはどういうことですか?
一番無垢な子どもの状態になることでしょうか。子どもの時は、描きたいものが溢れて、いつも絵を描いていたはずなのに、いつの間にか人にチューニングを合わせることばかりうまくなっていました。
ずっと消えていたはずだった「自分が描きたいもの」が、自分の中から溢れてくるようになったことがとても嬉しいんです。 -
なるほど。最後に、コエビさんにとっての「ときめき」を教えていただけますか?
「子どもの状態」です。
コエビさんのくらしきぬ愛用品